ようこそお越しくださいました。お葬式の裏舞台、わからない事だらけの業界で、日々 奮闘するスタッフ達のブログです。これも何かのご縁です、ゆっくりしていってください。

お葬式日記

先日、一心寺に行って参りました

なんで?と聞かれますと、ただなんとなくです。
親族でもなんでもないお墓に参るなんて異世界に迷い込んだと言えば大げさですが、不思議な感じでした。
ただただボーッと座ってみたり、佛様を拝んでみたり、写経もしました。
そんな中、ふと自分が入るなら...とか両親はどんな風に送り出して欲しいのだろうなんて、普段は考えないようなことを真剣に考えてました。
いい1日でした。
今度は家族で来て、一度そういう話をしておきたいと思います。

みなさんも一度そんなこと考えてみてはいかがでしょうか

Y.I

お葬式

お葬式
みなさんはどのようなイメージを抱きますでしょうか?

私はこの仕事に就いてまだ3ヶ月です。

この仕事を始める前は
虚礼だ!
行きたくもないし、自分の時もやりたくない!
なんて思っていました。
ちなみに虚礼の意味は、
まごころからでなく、表面をとりつくろうためのみに行われる形式的な儀式。
という意味で、同じように感じている方もおられるのではないでしょうか。
けど、今ならはっきり否定できます。

それは違います。

違うと言うと少し変な気もしますが、虚礼にさせないために我々の存在意義があるとそんな風に感じています。
携わらせて頂いたお葬式にはご家族、ご親戚、微力ながら我々の、まごころを確かに感じます。
同じお葬式なんて1つもありません。
我々がお手伝いさせていただいた皆様にも、そんな風に感じていただけたら幸いです。

Y.I

床の間

室町時代―。
僧家において壁に仏画を掛け、その前に押板を置き、その上に花と燭台と香炉を飾り、礼拝をしていました。その押板を床といい、それが次第に変化して作りつけになったものが床の間のもとの姿でした。

つまり床の間はお仏壇の遺風であるといわれています。

床の間が物置代わりや埃が溜まっていませんか?

本来は仏様がおられるところです。

N.Y

道場

剣道や柔道など武道の道を極める場所が道場のイメージですね。
実は道場は本来お釈迦さまが悟りを開いた場所を意味します。仏教では「道」は悟りのことです。お釈迦さまが悟りを得た「場」ということで道場なのです。つまりブッダガヤの菩提樹下の金剛座が道場なのです。
それがやがて場所はどこでも「悟りを開く場所」が道場になり、さらに一般に「修行をする場所」が道場となっていきました。
初期の浄土真宗では信者が集まって念仏を称えるところを「念仏道場」と呼んでいました。
道場へ通う時は技術だけではなく精神をも修養していきたいものです。

N.Y

しょっちゅう

いつも、常に、終始というときに「しょっちゅう」という言葉を使います。

お釈迦さまが説法を始められて、60人の弟子ができたときのことです。彼らを集めて「初め善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現を兼ね具えた法を説け」と諭されました。

この「初中終(しょちゅうじゅう)」が訛って「しょっちゅう」となりました。

しょっちゅう善く。
常に善いこと素晴らしいことです。

「しょっちゅう」という言葉は善いときに使うのがいいですね。

N.Y
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