良い天気がつづいておりますが、間もなく梅雨のシーズンが到来です。

局地的に凄い雨が降るそうで、今年の雨量は多いとの予報が修正されて
発表されていました。

梅雨寒や長雨、カラ梅雨などいろんな梅雨があるわけですが、以前のように
梅雨入り宣言とか、梅雨明け宣言みたいなのはなくなりましたね。

宣言して外れると、大変なことになるそうで、気象庁も宣言はせず、
「したとみられます」という表現を使うようになりました。

まあ、大変ですよね。
膨大な過去からのデータと、現在の技術を駆使しても天気予報も中長期になれば
なかなか当たらない。

もちろんただの当て物ではありません。統計学の結晶とでもいうのでしょうか?

しかも、異常気象なんて言われる現代です。ゲリラ豪雨とか今までは経験のない地域で
竜巻が起こったりとか、気温差も激しく、四季も感じることがむずかしいこの世代で、
天気を予想するというのは本当にむずかしいことだと思います。

でも、私が幼いころ、ヤン坊マー坊の天気予報をよく見ていたころに比べると
明日の天気に限っては、高い確率で当たっているようにも思いますが。

さて、こんな高度な統計学をもってしても当たらないことはありますし、確率が100%なんて
ことは本当にないものです。
気象予報士のみなさんは、外れたのであれば外れたなりの予想データと過去のデータを
さらに研究し、軌道修正するのでしょう。

とんだ勘違いで、まったく根底からデータの解析をし直さないといけないようなところまで
ブレが大きくなってしまう、ということはおそらくないのでしょうが。

私たちも普段から、過去に自分が生きてきた経験則や経験値、知識、などいわゆる経験上の
データをもってしていろいろな事象に対して対応するわけです。
うまくいくこともあれば、まったくダメなこともあります。
現代社会は、様々なことが変遷しやすいですから、過去の経験則が全く役に立たないことも
たくさんあります。

人間が生きていくうえで、たしかに複雑な現代社会において、知恵や知識もそうですが、
柔軟な対応というのが必要です。

ただ、この柔軟な対応と人間性というところで、自分の考え方のみを正しいと判断して
突き通す愚かな人間もいます。

たとえば、自分が生きていくために、うまく立ち回ることと人を出し抜いたり、だましたりすること
、つまり何の説得力ももたないのに、あたかもそれが正論であるかのごとく振る舞うこと。

自分のできないこと、にがてなことイコール自分には合わないと簡単に決めつけるだけでなく、
何かを天秤にかけるような考えを持つこと自体、人間性に疑問を感じます。

世の中は複雑ですが、人としての道筋を間違えると、批判ばかりが増えていきます。
批判の先にはなにもなく、改善することを批判と同じように考えてしまう人もいます。

たぶん、しっかりした根拠もなく、そういう考えに行き着く人は、きっとどんなコミュニティであっても
そういう考えに行き着くのでしょう。

我々葬儀という本当に、一つひとつ丁寧に真剣に真摯に取り組まなければならない仕事
においては、仕事に対するうれしさや楽しさを感じる前に、痛いくらい怖さや厳しさを感じなければ
、故人やご遺族に本当に満足いただけるようなお手伝いはできないのではないか、と思うのです。

HO