たまたまテレビをみていたら、幸福論についていろいろ 討論する番組にでくわしました。 取り上げられていたのは、ラッセルの幸福論。 いろんな幸福論が、著名な方から出されていますが、近代幸福論 で、まさに現代にマッチした考えというか哲学を展開しているのは 彼だけでしょうか? 人間が幸福になるには、皆が寛容になること、といっています。 私の解釈なので、異論はあるとおもいますが、要は本当の幸福は 自分一人では成り立たず、すべての人が幸福でなければ幸福には なれない、そうなるためには他人にもっと関心をもち、許し合える 寛容さをみなが持つことで幸福になれる、としていると捉えました。 ここでいう幸福とは、お金持ちになるとか、自己実現ができるとか、 そういうものではなく、世界の人すべてが寛容になることこそ、 真の幸福といっているようです。 そりゃそうなんでしょうが、でも簡単ではないですよね。 資本主義経済下で、競争社会で、差別、格差のある社会ですから 、寛容になって皆が幸せになるというのは本当に理想論かもしれません。 そこで思うのです。 私の携わっている仕事は、葬儀です。 当たり前ですが、遺族は悲しみの最中にあられるわけです。 しかし、故人が生きてこられた軌跡には、いろんなことがあり、 家族で喧嘩をしたり、もしかすると他人とトラブルがあったりしたかもしれません。 そんな、いろんなことを踏まえて故人を送るのが葬儀です。 そこに参列された方、訃報を知った方、直接のご遺族、 たくさんの方の寛容さが集結されたのが、葬儀であるような、 またはもしかすると、葬儀の意味合いのような気がしたのです。 誤解があるといけませんが、人の死が幸福をもたらすということではなく、 幸福とは何なのかを知ることができる人生の一場面がご葬儀ではなかろうか?と 感じたのです。 そんな逆説的かもしれませんが、故人にも、この先幸せであってほしいと 願うことも実際あると思います。 そこを宗教という一つの信仰に委ね、進めていくこともあります。 昔とちがって、死に対して、他人事であったり関係ないところの話であったり 戦争で多くの犠牲者がいることもよその国の話、悲惨な事件は犯人が 凶悪であるということだけに関心が寄せられる、死に対する無関心さは 、命の尊さや事の重大さが薄らいでいっているように思えてなりません。 幸福論からすると、この死への無関心さは、人を幸福にはさせてくれない 気がします。                              HO